(判例)退職願の提出に錯誤取消は認められないとして地位確認等支払請求が斥けられた例

地位確認等請求事件(R7.7.30東京地裁判決)


◇事件の概要◇

本件は、被告に雇用され、休職中であった原告が、休職事由が消滅しており、また、退職願を提出したが、これが辞職の意思表示又は合意退職の申込みのいずれであったとしても、錯誤があったから取り消すとして、被告に対し、〔1〕原告が雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認を求めるとともに、〔2〕賃金請求権に基づき、令和5年12月1日から本判決確定の日まで毎月末日限り、25万6750円及びこれらに対する各支払日の翌日から支払済みまで民法所定の年3%の割合による遅延損害金の支払を求めたが、原告の請求はいずれも理由がないことから棄却された事例。


◇前提事実◇

(1)当事者
ア 被告は、インターネットホームページやウェブコンテンツの企画、制作、運営、販売及びコンサルティングに関する業務等を目的とする株式会社である。
イ 原告は、平成22年2月、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結した。

(3)原告の休職に至る経緯等
ア 原告は、令和2年頃から、心身症、うつ病等を理由として欠勤・休職を繰り返しており、具体的には、令和2年1月28日から同年2月24日まで、令和3年11月10日から令和4年2月2日まで休職した。
イ 原告は、令和5年6月、体調不良で連続して有給休暇を取得し、被告に対し、同月30日付けでうつ病を再発している旨の診断書を提出した。
ウ 原告は、令和5年7月21日以降、体調不良で連続して欠勤したが(一部有給休暇の取得あり)、同年8月30日、出勤した。
エ 原告は、令和5年9月も、体調不良を理由として4日欠勤し、2日早退し、同年10月も、体調不良を理由として5日欠勤した。
オ 原告は、令和5年10月30日から休職となっている(以下「本件休職」という。)。

(4)原告の退職願の提出
ア 原告は、令和5年12月22日、被告から人事労務の委託を受けていた株式会社Cの担当者であるDに対し、同月25日での退職を希望する旨のメッセージを送信した。
イ 原告は、令和5年12月25日、被告に対し、同日付けで退職する旨の退職願を提出した。

(5)原告による錯誤取消しの意思表示
 原告は、被告に対し、訴状をもって民法95条1項2号に基づき退職願の提出による合意退職の申込みを取り消す旨の意思表示をした。訴状は、令和6年8月13日、被告に送達された。


◇判例のポイント◇

本件の主な争点は、原告の辞職の意思表示又は合意退職の申込みの錯誤取消しの可否及び原告の休職事由の消滅の有無であり、当事者の主張は、以下のとおりである。

【原告の主張】

ア 原告の退職願の提出は、被告の同意を得なくとも辞めるという強い意思等はなく、合意退職の申込みである。
イ 原告の退職願の提出が、辞職の意思表示、合意退職の申込みのいずれであろうとも、原告には、動機の錯誤があったから、その意思表示を取り消すことができる。
 すなわち、原告は、令和5年11月29日、E本部長及びDと面談した際、〔1〕週3日(1日4時間)の時短勤務、〔2〕他部署に異動した上で週3日(1日4時間)の時短勤務、〔3〕原告の意思に基づく退職の3つの選択肢を示され、令和6年1月9日の面談時までに検討して決断するよう告げられ、また、〔1〕又は〔2〕を選択した場合、原告のできる仕事は、1時間に1度ごみ箱のごみを回収するぐらいしかない旨告げられた。原告は、勤続年数5年以上の従業員であり、休職期間は最長6か月であったところ(就業規則22条3第1項)、原告は、令和5年12月4日、E本部長に対し、フルタイムで復職できるまでの休職の要望を出したが、同月19日、E本部長から、前記〔1〕から〔3〕までの選択肢から決断するよう返答を受け、労働条件を労働者に不利益に変更する場合は、労働者の同意が必要であるため、フルタイムでの勤務を希望している時点で、少なくとも時短勤務かつごみ回収業務での復職という条件変更は原告に適用されず、同年10月30日から6か月の休職期間があるにもかかわらず、引き続き休職することができず、復職しても時短勤務でごみの回収しかできないと誤信し、退職願を提出するに至ったのである。原告の退職願提出に至る経緯に照らせば、原告の退職の意思表示の動機は、引き続き休職できないなどと原告が誤信したためであることは黙示的に表示されている。
ウ また、原告について、担当医によって、「症状が改善したため、令和5年11月14日より就労再開可能である、と判断する」と同月13日付け診断書に明記されていること、原告は、退職願提出後、令和6年1月には、ハローワークに対して求職申込みを行い、求職活動をしながら雇用保険(基本手当)を受給していたことから、原告には、就労意思や就労能力があり、令和5年11月14日の時点で、原告の休職事由は消滅していた。したがって、原告と被告との間の労働契約は、現在も継続しており、そして、原告は、被告に対し、令和5年12月以降支給分の賃金の支払を求めることができる。

【被告の主張】

ア 原告の退職願の提出が合意退職の申込みに当たることは争う。
イ(ア)令和5年11月29日の面談において、原告にごみの回収を担当させるという話はなく、被告側からのメッセージにもそのような記載はないから、原告に復職してもごみの回収しかできないとの動機の錯誤はないし、その動機の表示もない。また、時短勤務については、フルタイムでの復職は不可能と判断したが、暫定的措置として時短勤務であれば復職を認めるというにすぎず、労働条件の不利益変更の問題ではなく、この点について原告に錯誤はない。
(イ)原告は、本件休職前に、令和2年1月28日から同年2月24日までと令和3年11月10日から令和4年2月2日までの2回休職している。また、令和5年7月31日、原告は、いつまで休職できるか質問しており、原告は、休職には定まった期限があり、それを超えると自然退職となるという仕組みを理解していた。そして、同年12月時点で原告の休職は1か月余りにすぎず、正確にいつまで休職できるかは分からなかったとしても、まだ猶予があることは認識していたし、期限を過ぎても自然退職となるだけで、それ以前に自ら退職の意思表示をする必要がないことも認識していた。同月の時点では、原告は休職期限の質問をしていないことなどもこのことを裏付けるものである。
 したがって、原告に休職期間についての錯誤はないし、退職の意思表示をするに当たり、原告の主張するような動機が表示されたこともない。
(ウ)よって、原告の退職の意思表示の錯誤取消しは認められない。
ウ 休職事由が消滅したかどうかの判断権者は被告であり(就業規則22条の3第3項等)、休職事由は所定の手続を経て被告の合理的裁量により完全に業務の遂行ができると判断したときに消滅する。従前の経緯から原告が復職可能とする診断書は、復職を希望する原告の意向を表しているにすぎないもので信用できず、被告は、過去の経緯に鑑みて、原告が完全に業務の遂行ができるかどうか疑わしいので、時短勤務をさせてみて判断する必要があると考えていたのであり、令和5年11月の時点で、原告の休職事由は消滅していない。原告は、令和6年6月10日から他社で勤務を開始したようであるが、これは、同月まで働けなかったことを示すものである。
 したがって、仮に原告の退職の意思表示の錯誤取消しが認められたとしても、原告は、休職期間の上限である6か月を経過して自然退職となっている。また、原告が賃金の支払を求めることもできない。

【裁判所の判断】

原告の休職事由の消滅の有無について

(1)休職事由の消滅が認められるには、原告が原告と被告との労働契約における債務の本旨に従った履行の提供ができる状態になる必要があり、原則として、従前の職務を通常程度に行える健康状態になるか、当初軽易作業に就かせればほどなく従前の職務を通常程度に行える健康状態になることが必要である。また、労働者が職種や業務内容を特定せずに労働契約を締結した場合においては、現に就業を命じられた特定の業務について労務の提供が十全にはできないとしても、その能力、経験、地位、当該企業の規模、業種、当該企業における労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らして当該労働者が配置される現実的可能性があると認められる他の業務について労務の提供をすることができ、かつ、その提供を申し出ているならば、なお債務の本旨に従った履行の提供があると解するのが相当である(最高裁平成10年4月9日第一小法廷判決・裁判集民事188号1頁参照)。
 原告については、令和5年11月13日付けで、うつ病の症状が改善したため、同月14日より就労再開可能である旨の診断書が作成されているものの、同年12月には、同診断書を作成した医師によって、同診断書で就労再開可能とされている日のわずか2週間後の同年11月28日から同年12月24日までうつ病で就労困難とする旨の「健康保険傷病手当金支給申請書(療養担当者記入用)」が作成されている。その上、原告は、令和2年頃から、心身症、うつ病等を理由として欠勤・休職を繰り返しており、令和5年6月、体調不良で連続して有給休暇を取得し、被告に対し、同月30日付けでうつ病と診断された旨の診断書を提出し、同年7月も、21日以降、体調不良で連続して欠勤し(一部有給休暇の取得あり)、同年8月30日、出勤し、同年9月も、体調不良を理由として4日欠勤し、2日早退し、同年10月も、体調不良を理由として5日欠勤しており、同年においても、出勤と多数回にわたり出勤しないこと(欠勤、有給休暇の取得)を繰り返している状況にある。これらのことからすれば、同年10月30日に休職となってからわずか2週間しか経たない同年11月14日の時点において,原告が従前の職務を通常程度に行える健康状態になったとはいえないし、また、原告を当初軽易作業に就かせればほどなく従前の職務を通常程度に行える健康状態になったともいえない。そして、上記の原告の状態からして、原告が労務の提供をすることができるような配置される現実的可能性があると認められる他の業務があったとも認められない。
(2)以上によれば、令和5年11月14日時点で、原告について休職事由が消滅していたとは認められないし、また、その後、原告の退職願の提出までの間に、原告について休職事由が消滅していたことを認めるに足りる証拠はない。 

原告の辞職の意思表示又は合意退職の申込みの錯誤取消しの可否について

(1)令和5年11月29日、E本部長やDが、原告に対し、原告のできる仕事は、1時間に1度ごみ箱のごみを回収するぐらいしかない旨告げたことを認めるに足りる証拠はなく、原告が復職してもごみの回収しかできないと認識したことを認めることはできない。
(2)次に、原告は、令和5年10月30日から休職となっていたところ、同年11月29日のE本部長及びDとの面談において、〔1〕週3日(1日4時間)の時短勤務、〔2〕他部署に異動した上で週3日(1日4時間)の時短勤務、〔3〕原告の意思に基づく退職の3つの選択肢を示され、一旦は、令和6年1月から週3日(1日4時間)の時短勤務で勤務に復帰することとなった。しかし、原告は、フルタイムで復職できるようになるまで休職を延長することを希望するようになったが、E本部長からは、上記〔1〕から〔3〕までの選択肢の中から決めるよう伝えられ、また、Dからは、過去の勤務の状況等を鑑みて時短勤務での復職は必須である旨伝えられている。これらのやり取りにおいて、E本部長やDは、休職期間を延長しても直ちにフルタイムでの復職は困難で、まずは時短勤務で様子を見ることが必須である旨を伝えているにすぎず、休職期間の延長自体が不可能であるとは伝えていない。また、原告は、過去に休職をしたことがあり、令和5年7月31日には、E本部長に対し、休職期間について尋ねていることもあり、休職期間について、一定の知識を有していたことがうかがわれるところ、同年12月のE本部長やDとのやり取りにおいては、休職期間について尋ねることはしていない。これらのことからすれば、原告は、休職期間が令和6年1月9日までで延長することができないと誤解していた旨陳述しているが、その陳述を裏付ける証拠はなく、これを採用することはできず、原告が引き続き休職することができないとの錯誤に陥っていたと認めるに足りる証拠はない。
(3)さらに、Dが原告に対し、令和5年12月21日、過去の復職後の勤務状況等を鑑みて時短勤務での復職は必須である旨伝えていることから、同年11月29日の面談において、E本部長やDが提示した選択肢のうち、時短勤務の選択肢は、被告において、原告の休職事由は消滅していないと判断しているが、暫定的措置として時短勤務をして様子を見てみるというものと解され、当該時短勤務は正式な復職とは異なるものであるから、労働条件を不利益に変更するものとはいえない。そして、前記2のとおり、現に原告の休職事由は消滅していなかったものと認められ、かつ、過去に原告が休職や、復帰をしても欠勤を繰り返しており、当該被告の対応は不合理なものとはいえないから、復職するには時短勤務を経ることが必要な点について、原告に錯誤があるとはいえない。
(4)以上によれば、原告による退職願の提出が辞職の意思表示、合意退職の申込みのいずれであったとしても、錯誤取消しは認められない。したがって、原告と被告との雇用契約は、令和5年12月25日をもって終了している。



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