(判例)定年再雇用時における賃金減額等に基づく損害賠償等請求が棄却された事例

未払賃金等請求事件 東京地裁(令和5年5月16日)判決


◇事件の概要◇

本件は、被告を平成30年△月に定年退職し、その後、令和2年3月まで嘱託職員として再雇用され、定年退職前の6割の賃金を受給していた原告が、被告に対し、以下の各請求をする事案である。

〔1〕定年後再雇用に際し、労使慣行に基づき賃金を定年退職前の7割とする再雇用契約が黙示的に成立した、又は再雇用契約において賃金を定年退職前の6割としたことは改正前の労働契約法(以下「旧労働契約法」という。)20条に違反するとして、賃金請求権又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、差額賃金相当額及びこれに対する遅延損害金の支払

〔2〕被告が原告との再雇用契約を更新せず、令和2年3月限りで終了させたことは、65歳到達以降も再雇用契約が更新されるという原告の合理的期待に反するとして、不法行為による損害賠償請求権に基づき、1年分の未払賃金相当額(定年退職前の7割を前提に算出)及びこれに対する遅延損害金の支払


◇前提事実◇

(1)当事者
ア 被告は、管工事業に関する調査、研究及び指導等を目的とする一般社団法人である。
イ 原告(昭和30年△月△△日生)は、昭和59年10月に被告に雇用され、採用当初から経理課で執務し、平成7年7月以降は経理課主任として、〔1〕予算・決算及び金銭の出納等経理に関する事務、〔2〕財産の管理に関する事務、〔3〕契約に関する事務、〔4〕給与及び福利厚生に関する事務、〔5〕会費に関する事務を担当していたが、63歳となった平成30年△月に被告を定年退職した。そして、原告は、同年4月から1年の期間で嘱託職員として被告に再雇用され、事務局職員として執務し、1度契約を更新した後、令和2年3月31日限り期間終了により退職した。
ウ 平成26年7月以降、原告の直属の上司は、総務部次長兼経理課長のC(以下「C課長」)であり、さらにその上司が、事務局長兼総務部長のD(以下「D事務局長」)であった。

(2)被告における定年後再雇用の制度とその運用
ア 被告の新就業規則44条1項は、「職員の定年は満63歳の誕生日(同年齢に達した日の属する月の末日)とする。」と定め、同条2項は、「…本人が希望し…解雇事由に該当しない者については、満65歳を上限として、契約期間1年(契約期間中に満65歳に達する場合は、同年齢に達した日の属する月の末日までの期間)の嘱託として再雇用する。」と定めている。
イ 被告における平成16年以降の定年退職者に係る嘱託再雇用の運用状況(定年退職時の役職、再雇用後と退職前の基本給の比較(割合)、再雇用の終了時期等)は、令和4年1月21日現在、別紙のとおりである。
ウ 原告は、令和2年2月以降、被告に対し、65歳に達した後の同年4月以降も嘱託職員としての雇用継続を希望する旨申し出ていたが、被告はこれに応じなかった(以下「本件更新拒絶」という。)。


◇判例のポイント◇

<定年後再雇用に当たり賃金を定年前の7割とする労使慣行の存否>

【原告の主張】
 被告においては、定年退職後に嘱託職員として再雇用された場合、再雇用後の賃金は、定年退職前賃金の7割とする労使慣行がある。高年齢者等の雇用の安定等に関する法律(以下「高年法」という。)及び旧労働契約法20条の趣旨を踏まえれば、この労使慣行に基づき、原被告間において、再雇用後の原告の賃金を定年退職前賃金の7割とする黙示の合意が成立していたというべきである。

【被告の主張】
 被告は定年後再雇用された嘱託職員の具体的な労働条件を定めた規程等を作成しておらず、再雇用の都度、その経験、知識、技能に基づく協会事業へのこれまでの貢献、定年後再雇用時の担当業務や業務量等を踏まえ、管理職については定年退職前の7割の金額、一般職については定年退職前の6割の金額を目安に会長決裁で決定する取扱いとしている。
 原告は、給与の支払事務を担当していたがゆえに、こうした取扱いを知っていたに過ぎず、他の職員は知らないのであって、このような認知状況で労使慣行が確立することなどあり得ない。また、一般職の職員について定年前の7割の賃金で再雇用した事例は一つも存在しない。
 したがって、原告の定年退職当時、賃金を定年前の7割として再雇用する労使慣行が存在していたとは到底認められず、賃金を定年退職前の7割とする再雇用契約が黙示的に成立したと認められる余地は全くない。

【裁判所の判断】

ア 一般に、長期間にわたり反復継続された労働条件に関する取扱いが、労使慣行として労働契約の内容となるためには、単に当該取扱いが長期間反復継続されただけでは足りず、労働者のみならず使用者側で決定権限を有する管理者においても、当該取扱いを準則として従うべき規範として意識することを要するものと解すべきである。
イ 原告は、被告において、平成16年以降、原告の定年退職前における嘱託再雇用の実例7件のすべてにおいて定年前の7割の賃金が設定されていた点を踏まえ、被告において定年後再雇用された嘱託職員の賃金を定年前の7割とする労使慣行がある旨主張する。
 しかし、かかる嘱託再雇用の実情について、被告が職員に対し周知したことはなく、原告は給与事務を担当していたがゆえに知り得たに過ぎないのであって、労働者側においてすら、かかる取扱いが準則として意識されていなかったことが明らかである。また、被告においては、嘱託細則4条2項に基づき、嘱託再雇用に際しては個別決裁により労働条件を決定してきたことが認められ、平成16年以降、原告の定年退職までのすべての再雇用において賃金が定年前の7割に設定されていたとはいえ、その数は14年間で7例に過ぎず、しかもその全員が事務局長等の管理職経験者なのであって、被告が再雇用職員の経験や能力等の如何を問わず賃金を定年前の7割とすべきことを準則として意識していたと認めるに足りる証拠はない。
ウ 以上によれば、原告主張の労使慣行は認められず、原告の主張は、その前提を欠き、理由がない。

 

<定年後再雇用に当たり賃金を定年前の6割としたことは、期間の定めがあることを理由とする不合理な労働条件に該当するものとして、旧労働契約法20条に違反するか>

【原告の主張】
 旧労働契約法20条の適用において、有期契約労働者である原告の比較対象となるのは、定年退職前の原告であるところ、原告は、再雇用後も、労働時間や休日に変更がなく、定年退職前と同様、午前9時から午後5時半まで週5日間フルタイムで勤務し、その業務内容も定年退職前からほとんど変更がなかったにもかかわらず、従前の労使慣行による基準すら下回る定年退職前の6割の賃金としたことは、定年後継続雇用制度における有期労働契約であることを考慮しても、有期労働契約であることを理由とする不合理な労働条件の相違に該当し、旧労働契約法20条に違反する。
 なお、被告は、再雇用後の原告の業務が、定年退職前と比較して大幅に軽減されたと主張するが、定年退職後の原告の業務には、原告の後任者とされたG又はHへの引継ぎも含まれていた。C課長がこの引継に一切関与しなかったにもかかわらず、GやHが何らトラブルなく対応できていたことは、すなわち、原告による引継や後任者へのサポートが不足なく実施されていたということであり、そのような原告の対応は、GやHが一定程度業務に慣れてきた後であっても継続していた。この点を踏まえても、原告の再雇用後の業務が軽減されていなかったことは明白である。

【被告の主張】
 原告の再雇用後の担当業務は、定年前に主に担当していた経理業務及び決算業務について大幅に軽減し、原告の後任者であるGまたはHが原告の代わりにこれらの業務を行っていたのであり、原告の再雇用後の担当業務は福利厚生関連業務が中心になっていた。このように、原告の定年前後の「職務の内容」(旧労働契約法20条)を比較すると、原告の定年後の嘱託の担当業務は大幅に軽減されていたものである。
 また、管理職が再雇用される際の目安である「定年退職前の7割の賃金」と一般職が再雇用される際の目安である「定年退職前の6割の賃金」との1割の差については、管理職が定年後再雇用後も引き続き同じ管理職の肩書きを使用し、定年前とほぼ同じ業務に従事することが予定されていたのに対し、一般職は定年前と比べて再雇用後の担当業務を軽減させているという違いがあるのであり、これが不合理とされる理由はない。
 さらに、原告の嘱託再雇用は、定年退職後の再雇用であるため、「その他の事情」(旧労働契約法20条)として「定年退職後に再雇用された者であること」という事情を考慮する必要がある。
 以上の点からすれば、原告の定年退職後の再雇用の賃金を定年退職前の6割の金額としたことは、定年退職前の原告との比較において不合理な労働条件に該当するものではなく、旧労働契約法20条違反として不法行為が成立することはない。

【裁判所の判断】

ア 原告の職務の内容に関しては、配置部署、勤務時間、休日等の労働条件は定年前後で変化がない。定年退職時に有していた主任の肩書は、再雇用に当たり外されたものの、主任としての具体的な権限は明らかでなく、責任の範囲についても変化は窺われない。しかし、業務の量ないし範囲については、従前はC課長と原告の2名で担当していた経理課の業務を、新たに入職したGを含む3名で担当することとなり、経理業務、決算業務を中心に、原告が担当していた相当範囲の業務がGに引き継がれ、再雇用後は原告が単独で担当する予定であった福利厚生関係業務も、実際にはC課長と分担していたのであるから、原告の業務が定年前と比べて相当程度軽減されたことは明らかである。この点につき、原告はGやHへの引継ぎの負担などを挙げて否定するが、原告の本人尋問における供述によっても、Gに引き継いだ業務を上司からの指示もないのにチェックしていたというに過ぎず、以上の認定判断を左右しない。
イ また、定年後再雇用であることが、賃金の減額の不合理性を否定する方向に働く事情として考慮されるべきことは上記のとおりである。特に、定年前の原告の給与は、年功序列の賃金体系の中で、長年の勤続ゆえに、担当業務の難易度以上に高額の設定になっていたことが推認され、1400万円を超える退職金も受給したこと、被告における定年は63歳であり、平成30年4月当時は男女とも特別支給の老齢厚生年金(報酬比例部分)を受給可能であったこと、原告の本件更新拒絶による退職後にその担当業務を引き継ぎ、定年退職時点での原告と概ね同様の業務を分担することとなったHの月給額は、再雇用後の原告の基本給と同水準であることも、「その他の事情」として考慮することが相当である。
ウ 以上を総合勘案すれば、原告の定年後再雇用に当たり、賃金を定年前の6割としたことが不合理であるとは認められず、旧労働契約法20条に違反しない。
エ なお、原告は高年法9条1項2号所定の継続雇用制度については定年前後での労働条件の継続性・連続性に欠ける労働条件はそれを正当化する合理的理由がない限り違法となるかのような主張もするが、再雇用後の労働条件につき使用者の裁量を認めている高年法の趣旨に沿うものとは解されず、採用の限りでない。また、原告は、自身が被告に対し様々な申入れ等を行ったことを理由とする差別的取扱いであるとも主張するが、定年前の6割という賃金が、そのような動機から設定された労働条件であると認めるに足りる証拠はない。



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