(判例)覚醒剤摂取を理由とする懲戒解雇につき、未払退職金等支払請求が斥けられた例

退職金請求事件 東京高裁(令和5年12月19日)判決


◇事件の概要◇

被告会社に雇用されて勤務していたが、その後覚醒剤取締法違反の罪で逮捕され、懲戒解雇された原告が、被告に対し、退職金等の支払を求めた事案で、本件犯罪行為は、いずれも10年以下の懲役に処すべきものとされる相当重い犯罪類型に該当し、被告の社内的影響に加え、限られた範囲ではあるが外部的な影響も生じており、本件が報道等により社会に知られるには至っていないことは偶然の結果というほかなく、これを原告に有利に斟酌すべき事情として重視することはできないから、本件犯罪行為は、原告の永年勤続の功労を抹消するほどの不信行為というべきであり、被告の退職金の全部不支給は相当であるとして、原告の請求を棄却した事例。


◇前提事実◇

(1)当事者
 ア 被告は、鉄道事業等を業とする株式会社である。
 イ 原告は、平成7年4月、被告に雇用され、主に車両検査業務に従事し、令和4年当時は大野総合車両所の車両検査主任として勤務していた。

(2)被告の退職金に関する定め(書証略)
 ・従業員就業規則78条
  社員は、退職に際して、別に定める退職金支給規則によって、退職金を支給される。
 ・従業員就業規則78条の2
  社員は、別に定める確定給付企業年金規約(DB年金)によって年金または一時金を支給される。また、別に定める企業型年金規約(DC年金)によって確定拠出年金掛金を拠出される。
 ・退職金支給規則12条
  懲戒解雇により退職する者、または在職中懲戒解雇に該当する行為があって、処分決定以前に退職する者には、原則として、退職一時金は支給しない。
 ・確定給付企業年金規約(DB年金)
  加入者又は加入者であった者が、次の各号に定めるその責めに帰すべき重大な理由により実施事業所に使用されなくなった場合には、給付の全部又は一部を行わないことができる。
  (1)窃取、横領、傷害その他刑罰法規に触れる行為により、事業主に重大な損害を加え、その名誉若しくは信用を著しく失墜させ、又は実施事業所の規律を著しく乱したこと。
  (2)(3)(略)

(3)被告の懲戒規程(書証略)
 ・5条
  懲戒は、次の6種とし、2種以上併せて行うことができる。
  (1)~(4)(略)
  (5)諭旨解雇 退職金は2分の1以内を支給して即日解雇する。この場合、行政官庁の認定を得たときは予告手当を支給しない。
  (6)懲戒解雇 予告期間を設けることなく、即日解雇し、退職金を支給しない。この場合、行政官庁の認定を得たときは予告手当を支給しない。
 ・7条
  従業員で、次の各号の1に該当するときは、降格、諭旨解雇または懲戒解雇に処する。ただし、情状により、出勤停止に止めることができる。
  (1)~(4)(略)
  (5)業務の内外を問わず、犯罪行為を行ったとき。
  (6)~(10)(略)

(4)原告の覚醒剤取締法違反事件(書証略)
 ア 原告は、平成29年頃から、密売サイトを通じて覚醒剤を購入し、1か月に4回、休前日である金曜日や土曜日に吸引して使用するようになった。
 イ 原告は、令和4年4月19日、職場を無断欠勤し、交際相手と山中湖へドライブに行った。その際、交際相手は、原告が所持していた鞄の中にチャック付ビニール袋入りの覚醒剤(0.147グラム)と吸引具等を発見し、これらを原告に秘して取出し、帰宅後に原告の父親に渡した。原告の父は、これらを警察署に任意提出した。
 ウ 原告は、同年6月4日、自宅で警察官に任意同行を求められてこれに応じ、警察署で尿を任意提出した結果、簡易検査で覚醒剤の陽性反応が現れ、覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕された。同月6日には、原告の自宅の家宅捜索の結果、チャック付ビニール袋入りの覚醒剤3袋(合計1.244グラム)が発見された。
 エ 原告は、上記イ及びウの覚醒剤所持及び使用の罪につき東京地方裁判所に公判請求された。原告は罪をすべて認め、同年9月28日、懲役2年執行猶予3年の有罪判決を受け、確定した。

(5)退職届
 原告は、令和4年6月29日、一身上の都合により同年7月13日をもって退職する旨の退職届を提出したが、被告はこれを受理しなかった。

(6)懲戒解雇
 被告は、令和4年7月7日、上記(4)の覚醒剤所持及び使用(以下「本件犯罪行為」という。)を理由に原告を懲戒解雇する旨の意思表示をした。

(7)原告が令和4年7月限り自己都合退職した場合に受給することのできた退職金等の金額(書証略、弁論の全趣旨)
 ・退職一時金 267万5022円
 ・確定拠出年金拠出不能金 5000円【支給済】
 ・確定給付企業年金 802万5167円
 ・確定拠出年金 205万3571円【支給済】
 ・前払退職金 13万0000円【支給済】


◇判例のポイント◇

本件の争点は、原告の退職金請求権の有無、具体的には、本件犯罪行為は永年勤続の功を抹消又は減殺するほどの重大な不信行為といえるか否かである。

【原告の主張】
 以下の諸点に鑑みれば、原告には永年勤続の労を抹消又は減殺するほどの重大な不信行為があるとはいえず、退職金全額の不支給は酷に過ぎる。
ア 原告には本件以前に犯罪歴はなく、社内処分も令和4年5月の課長訓戒1件のみで、勤務態度に問題はなかった。
イ 原告の覚醒剤使用はすべて勤務時間外に行われた純粋に私的な行為であり、被告の業務に何ら支障を及ぼしていない。
ウ 本件は公表、報道等されておらず、被告の社会的評価は低下していない。
エ 原告は管理職ではない現業職に過ぎず、本件が被告の社内に与えた影響は限定的である。社内教育の必要性は否定しないが、社内メールや文書発信等の方法で足りたはずである。
オ 原告は上司に対し真摯に謝罪し、懲戒解雇に先立ち自ら退職届を提出するなど、反省の念は顕著である。公判でも罪を認め、刑事制裁を受けた。
カ 本件当時、原告には小学生の子2人があり、懲戒解雇後は生活に困窮している。27年を超える勤続期間を踏まえると、退職金不支給は明らかに酷で、賃金後払いへの期待を裏切り退職後の生活保障を抹殺するものである。
キ 被告は、いわゆる小田急電鉄事件(東京高裁平成15年12月11日判決)の事案で、懲戒解雇しながら退職金を一部支払った例があるほか、飲酒してロマンスカーに乗車し車掌に暴行した件、勤務外で本厚木駅員に暴行した件でも、懲戒処分に付しながら退職金を支払った事例があり、これらとの比較においても本件での全額不支給は不均衡で、酷に過ぎる。

【被告の主張】
 原告の主張は争う。本件の悪質性からすれば、退職金は全額不支給が相当であるところ、原告には約17%に当たる218万8571円が支給されていることも考慮すれば、原告の請求に理由がないことは明らかである。
ア 原告の犯罪歴は知らない。処分歴は1回だが訓戒の重みを理解していない。原告は無断欠勤が多く勤務態度には問題があった。
イ 業務への具体的支障は不明だが、原告は覚醒剤が体内に残留した状態で勤務していた可能性が高い。
ウ 本件が公表、報道等されていないのは事実であるが、監督官庁には報告し、その信用を失墜した。鉄道会社の従業員の覚醒剤使用が報道される例はあり、本件でも今後その可能性は否定できない。
エ 原告は管理職ではないが、車両の安全性チェックという重大な役割を担う検査主任の立場にありながら、体内に覚醒剤が残留した可能性が高い状態で勤務していたのであり、社内での影響が限定的などとはいえない。再発防止のための討議、訓示、周知等、社内教育に費やした延べ人数は758人、延べ時間は1万2670分と、被告に生じた損害は甚大である。
オ 上司への謝罪、退職届の送付(受理はしていない。)、刑事判決を受けた事実は認めるが、原告はその責任を重く受け止めるべきである。
カ 本件当時の家族構成と勤続年数は認めるが、原告は父が所有する住宅に無償で居住しており、直ちに生活に困窮するとは考えにくい。
キ 原告が挙げる他の処分例は本件とは事案を全く異にする。原告が例示する暴行2件は懲戒解雇ではなく刑事処分も受けていない。

【裁判所の判断】
1 被告の退職金支給規則(書証略)及び弁論の全趣旨によれば、被告においては従業員の資格及び役割に応じて1年を単位に月割で付与される退職金付与ポイントを基礎として退職一時金、確定給付企業年金等の額が定められる仕組みとなっており、退職金は賃金の後払的性格を有していると認めることができる。こうした退職金の性格に鑑みれば、前提事実(2)の退職金支給規則等に基づき退職金を不支給とすることができるのは、当該従業員のそれまでの勤続の労を抹消してしまうほどの不信行為があった場合に限られると解すべきである。
2 本件犯罪行為は、覚醒剤取締法41条の2第1項(所持)、同法41条の3第1項1号、同法19条(使用)により、いずれも10年以下の懲役に処すべきものとされる相当重い犯罪類型に該当する。直接の被害者は存在しないとはいえ,覚醒剤の薬理作用による心身への障害が犯罪等の異常行動を誘発すること、密売による収益が反社会的組織の活動を支えていること等の社会的害悪は、つとに知られているところである。
 約5年にわたる使用歴(前提事実(4)ア)を有する原告の覚醒剤への依存性、親和性は看過し得ない水準にあったといえる。この間、原告は大野総合車両所の車両検査主任の立場にあって、管理職ではないとはいえ、首都圏の公共交通網の一翼を担う被告の安全運行を支える極めて重要な業務を現業職として直接担当していた。摂取から少なくとも数日は尿から覚醒剤が検出されるという調査結果(書証略)等に照らせば、ほぼ毎週末(前提事実(4)ア)覚醒剤を摂取していた原告が、業務への具体的影響は不明であるものの、身体に覚醒剤を保有した状態で車両検査業務に従事していたことは明らかである。この事態を重く見た被告が、延べ758名に対し延べ211時間10分もの時間をかけて再発防止のための教育措置をとったこと(書証略)は相当であり、これを過大な措置だとする原告の主張は失当である。 
 以上の社内的影響に加え、被告は監督官庁に本件を報告しており(弁論の全趣旨)、限られた範囲ではあるが外部的な影響も生じている。なお、車掌や運転士等の鉄道会社やバス会社の従業員の薬物犯罪が報道され、社会的反響を呼んだ例は珍しくないのであって(書証略)、本件が報道等により社会に知られるには至っていないことは偶然の結果というほかなく、これを原告に有利に斟酌すべき事情として重視することはできない。
3 原告は、令和4年5月に3日間の無断欠勤や虚偽報告を理由に課長訓戒の処分を受けた(書証略)ほか、事前連絡の有無等は必ずしも明らかではないものの、体調不良等の自己都合での突発的な休暇取得が頻繁に認められる(証拠略)。有給休暇取得は正当な権利行使であること、急な休暇取得には子の養育や交際相手との関係等の一身上の都合が影響していること(証拠略)を踏まえても、原告の勤怠状況について積極的に評価することは困難であり、この点において原告に有利な事情があるとはいえない。
 原告について、本件以外に上記の課長訓戒以外の処分歴や犯罪歴は認められないものの、27年間勤務を続けていたという以上に、特に考慮すべき功労を認めるに足りる証拠は見当たらない。
4 なお、原告は裁判例や他の処分事例との不均衡を主張するが、いずれも非違行為の悪質性等の点で本件とは大きく事案を異にしており、比較対象として適切でない。また、原告は子の養育状況等に照らし退職金不支給が酷であるとも主張するが、原告は27年の勤続期間に相応する収入を得ていたと考えられること、懲戒解雇後に前払退職金、確定拠出年金等の合計218万8571円の支給を受けたこと(前提事実(7))、原告は父が所有する住居で父母と同居していること(証拠略、弁論の全趣旨)等の事情も勘案すれば、本件犯罪行為に比して退職金全部不支給という結果が酷であると評価することはできない。
5 以上によれば、本件犯罪行為は、原告の永年勤続の功労を抹消するほどの不信行為というほかなく、退職金の全部不支給は相当である。
 よって、原告の請求は理由がないから、これを棄却する。



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