
賃金等請求事件 大阪地裁(令和6年5月31日)判決
◇事件の概要◇
本件は、被告の従業員であり、被告代表者の娘と婚姻していた原告が、被告に対し、原告の承諾がないにもかかわらず、原告の給与の一部や賞与を、被告代表者又は同人の妻名義の口座に振り込み、原告に支給しなかったと主張し、労働契約に基づく賃金請求(賞与については賞与支給合意に基づく請求)、又は不法行為に基づく損害賠償請求をした事案である。
◇前提事実◇
(1)当事者等
ア 被告
被告は、水処理施設の設置、メンテナンス等を事業内容とする株式会社である。従業員は20名程度である。
イ b(以下「b」という。)
bは、被告の代表取締役である。
ウ 原告
原告は、被告の元従業員である。
原告は、平成24年にbの娘と婚姻して被告に入社し、その後被告を退社して別の会社で働いた後、令和元年5月1日、被告に再入社した。
(2)原告の離婚及び家族の情況等
ア 原告夫婦には、平成24年生まれの長女、平成27年生まれの二女及び平成29年生まれの長男の3人の子がおり(以下、併せて「子ら」という。)、bの自宅敷地内に建てられた離れに家族で居住していた。
イ 原告は、令和元年9月末にbの娘と離婚した。bの娘は、当時、身体障がい者の認定を受けて通院中であった。
ウ 子らは、原告夫婦が離婚する前から、祖母に当たるbの妻・h(以下「h」という。)に養育されており、離婚後も同様であった。
(3)原告の欠勤
原告は、令和2年8月24日以降、被告に出社しなくなり、被告からの電話連絡にも応じない状態となった(弁論の全趣旨)。被告は、同年9月15日、原告を退職扱いとした(原告が同日限り被告を退職したことは争いがない。)。
(4)原告の賃金請求
原告は、令和4年2月28日頃、被告に対し、令和元年8月分から令和2年9月分の未払賃金を請求した(甲7、8)。
(5)消滅時効援用の意思表示
被告は、令和6年3月15日の本件口頭弁論期日において、本件請求1に係る債権のうち令和元年8月分から令和2年2月分(支払日は同月20日)の賃金債権につき、消滅時効を援用するとの意思表示をした(当裁判所に顕著)。
◇争点◇
(請求1-労働契約に基づく賃金請求に関し)
(1)令和2年8月~9月の欠勤期間中の賃金請求権の有無
(2)令和元年8月分以降の賃金の一部につき、原告に対する弁済がなされたといえるか否か(弁済の抗弁)
(3)消滅時効の成否
(請求2-不法行為に基づく損害賠償請求に関し)
(4)被告が原告に対する賃金を第三者の名義の口座に入金したことが不法行為に当たるか否か
(5)傷病手当金申請書の虚偽記載に係る不法行為の成否
◇判例のポイント◇
(4)被告が原告に対する賃金を第三者の名義の口座に入金したことが不法行為に当たるか否か
【原告の主張】
ア 被告は、代表取締役であるbの個人的な事情を理由として、bの指示に基づき、原告の受け取るべき給与等の一部又は全部をb又はhの口座に一方的に振り込んだ。かかる行為は、極めて悪質な権利侵害行為であり、不法行為(民法709条)を構成する。
イ 被告の上記不法行為に基づく原告の損害は、別紙2計算書(修正)の未払賃金額と同額の588万2433円である。
【被告の主張】
争う。
原告に対する賃金は、被告の主張のとおり、全額支払済みである。給与・賞与の振込先・振込金額は、原告と連絡がつかなくなった令和2年9月分の給与以外は、全て原告の指示に基づくものであり、違法性はない。
また、h名義及びb名義の口座に振り込まれた金員は、全て子らの養育費又は原告の負債の立替分に対する償還に充てられており、専ら原告の利益のために使われたものであるから、原告に損害はない。
よって、不法行為は成立しない。
【裁判所の判断】
(1)原告は、被告が、代表取締役であるbの指示に基づき、原告の受け取るべき給与等の一部をb又はhの口座に一方的に振り込んだとして、同行為につき不法行為が成立する旨主張する。
(2)
ア もっとも、認定事実によれば、原告が被告から直接受領した賃金は、令和2年4月分以降、10万円から約22万円に増額しているところ、これは原告がg支店長の自宅から社宅に引っ越した2月末頃から1か月程度が経過した時期であること、原告も、bと原告との間で、社宅に引っ越したことで原告の生活費が従前よりも必要になるという話がなされた後に支払額が変更されたこと自体は認める発言をしていることからすると、bが、原告の賃金について、振込先や金額、原告に直接手渡しする金額等について、原告に断りなく一方的に決めていたとは認められない。
イ 原告は、子らの父親であることから、子らの養育に要する費用を負担する義務を負っている。認定事実によれば、原告は、bの娘との離婚の話がされるようになった後の令和2年8月以降、bの娘が管理する原告名義の口座に被告からの給与の振込を受けることを止めており、hとしては、子らの養育に要する費用を原告から受領することができない状態になったものといえる。それにもかかわらず、原告は、日々生じ続ける子らの養育に要する費用の負担についての協議をbの娘ともhともしていなかったというのであるから、bが、原告に対し、子らの養育に要する費用を負担させるべく、h名義の口座に給与を振り込む方法を提案すること自体は一概に不合理とはいえない(ただし、かかる方法が賃金全額払の原則、賃金直接払の原則からすると有効な賃金の支払と認められないことは争点で検討したとおりである。)。
そして、h名義の口座に振り込まれた原告の給与相当額の金員につき、子らの養育以外の用途に使用されたことをうかがわせる事情もない。
ウ 加えて、原告は、g支店の経理担当者から、令和元年11月22日、bから、原告に対して10万円を渡すように連絡があり、g支店長に預けた旨のメッセージの送信を受けたのに対し、同日、「お疲れ様です。わかりました。ありがとうございます。」と返信し、何らの問合わせ等もしていない。原告が、子らの住む和歌山に帰省した際に、hから生活費として10万円を受領したり、現金10万円を被告g支店長から受領するようになっても、h・bや被告g支店長に対し、給与の支払方法や額について抗議や不満を述べた形跡も証拠上認められない。これらの事情からすると、原告は、子らの養育に必要な費用等を支払う方法として、被告から支給される給与の一部を、祖父母であるhやb名義の口座に直接振り込むことを容認していたものと推認される。
エ 以上のような本件事情の下においては、被告が、原告の受け取るべき給与等の一部をb又はhの口座に振り込んだ行為について、原告に無断で一方的に行ったものとは認められず、かえって、原告は、子らの養育に要する費用等の負担の便宜としてかかる方法によることを容認していたといえることから、不法行為上の違法性はない。
(3)よって、被告が、代表取締役であるbの指示に基づき、原告の受け取るべき給与等の一部を、原告に断りなく一方的にb又はhの口座に振り込んだことを前提として、賃金の不払につき不法行為が成立するとする原告の主張には理由がない。
(5)傷病手当金申請書の虚偽記載に係る不法行為の成否
【原告の主張】
ア 原告は、傷病手当金支給申請をしたものの、被告により申請書(事業主記入用)に満額支給との記載がなされたことから、傷病手当金の支給を受けられなかった。
イ 被告が、原告の傷病手当金の受給を妨害する意図で傷病手当金支給申請書に虚偽の記載をしたのであれば、当該行為は原告に対する不法行為(民法709条)に当たる。
【被告の主張】
争う。
【裁判所の判断】
争点(4)で検討したとおり、bが、原告の賃金について、振込先や金額、原告に直接手渡しする金額等について、原告に断りなく一方的に決めていたとは認められないこと、bが、原告に、本来負担すべき子らの養育に要する費用を負担させるべく、h名義の口座に給与を振り込む方法を提案すること自体は一概に不合理とはいえないこと等からすると、被告としては、原告に対する給与は全額支払済みであると認識していたものと推認され、被告が、原告の傷病手当金の受給を妨害する意図で傷病手当金申請書に虚偽の記載をしたとは認められない。よって、被告が上記意図を有していたことを前提として、傷病手当金申請書の虚偽記載につき不法行為が成立するという原告の主張には理由がない。
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